ほんのり小話 30-7

白銀の季節の朝早く。早くと言っても太陽は姿を出しているし、辺りも明るい。

そんな中、疾風のごとく移動する二つの陰があった。銀の欠片を巻き上げ、小さな吹雪を起こす。

その陰の主は、寒さが苦手な小さな黒猫と、幼い豊穣の神様ーー橙と穣子だった。

「…ちょっと…速いってば…!」

「そんにゃにモタモタしてると置いてくにゃっ!」

後方の穣子は必死に追いつこうとしている。それに対する橙は、本気で走っているわけではない。

橙の巻き上げる雪の粉が、余計に穣子の動きの邪魔をして、思うように走れない。もちろん、橙はそれを考慮に入れていた。

「…全く…なんだっていうんだよ…!」

朝、気がついたときには誰も居なくて、外が騒がしいって思ったら異変…それも、一部だけ秋が来たって?

秋に関係のある神様としては、そんな異変乗り気で無くても放っておけるはずなんてない。それに、あたしが行かないと、何か分からないだろう。…実際、橙があたしのことを探していたし。

穣子は状況の整理をしようと思っていても、橙に追いつく、見失わないようにすることに精一杯でそんな余裕が無かった。

つまり、完全にレティの思惑にすべて乗せられていたのだ。

精神状態が不安定なひねくれた幼い神。いつも通りの冷静な彼女であれば、すでにいくつかのおかしい点に気がつくことが出来たであろう。

牙を抜かれた獣。力を発揮出来ず踊らされる。そんな哀れな彼女を見るのは少しいたたまれなかった。


魔法の森を抜け、太陽の花畑を越えて、無縁塚の近くを翔る。

通っているルートは、すべて人や妖怪、妖精の数が少ないところばかり。

この道を考案したのは早苗とレティ。情報力のある二人だからこそなせたもの。どこで誰がどのように動く、場所ごとに大まかなパターンを把握していた。

橙はその通りに動いているだけ。今のところ、本当に誰一人として会っていない。流石二人の考えた道だと、走りながら身震いをした。

「…ねぇっ…遠回り…してないっ…?」

気が付き始めたか。そう思っても、無理に急いだりしなかった。

ここで速度を上げては、彼女に何か裏があると、慌てたことを見抜かれてバレてしまう。

…と、いうのも、その可能性を前日にさとりに指摘されていた。もしものときの可能性を考えて、と。出来るだけ考えられる問題は解決していた。

「…ごめんにゃ、最初教えてくれた人がこの道をあんにゃいしてくれて、橙はその通りに来ちゃったにゃ。」

とっさの嘘にしては上出来だ。穣子はそれに対して、特に何も言わなかった。

バレたのか、心配になって少し後ろを振り返る。しかし、その様子は無かった。必死についてこようとしている、大丈夫、彼女の中の勘がそう囁いた。

橙自身、嘘をつくのや他人の感情を読みとることは得意ではない。ましてや、隠すことなどもっての外だ。

さとりが何も助言していなければ、あそこで急いで彼女に見抜かれていただろう。

「…っ!?」

白い雪を激しくまき散らす。思わず穣子は襲ってくる雪に目を瞑った。

全力で追いかけていたので急には止まれない。数メートル進んで、ようやく目を開けたときには橙の姿は無かった。

代わりに、先ほどまであれほど積もっていたやっかいな雪は一切見あたらず、代わりにいくつもの紅に染め上げられた美しい楓が目に飛び込んだ。

着いたと同時に、填められたことに気が付いた。

目の前に、自分の姉の姿を確認して、すべて仕組まれていたことだというのが分かった。



「…これでいいかにゃ。」

その陰で、彼女達に声が届かないように小さな声で話す早苗、幽香、レティ、橙の姿があった。

「…一言言えば…最後のは心臓に悪かったわ。」

「し、しょうがにゃいにゃ!」

最後、それは穣子から上手く姿を消したあれのことだ。

橙の能力は妖術を操る程度の能力。妖術と言っても、先ほどのは単純な動きでしかない。

例えば、左に動いていて、それを目線で追っているとき、一瞬右に素早く動かれると見失ってしまう。

その原理を利用し、橙は前に移動し、

目に見えない程の速さで、後ろに下がったのだ。それも、当たるか当たらないかのぎりぎりのところを通って。

陰で見ていたもの達にとってはぶつかったかのように錯覚したのだ。

「…まぁ、今のところは順調よね。全く、レティの言った通りに事が進みすぎて怖いわ。」

早苗のぼやきにレティは答えない。否、答えられなかった。

寒気を完全に押さえ込む。強めることが専門の彼女にとって、少しでも意識が離れるとすぐに寒気が外に出てきてしまう。それ故、話すら出来ない状況にあった。

早苗も紅葉を維持する役目があるが、早苗自身はかなり負担が少ない。それほど集中していなくてたやすかった。

「…でも、心配よね。」

「?何が…?」

いつも幽香の前で敬語を話す早苗も、穣子のことが絡むと話は変わってくる。それだけ、彼女のことが心から好きなのだ。

「お姉さん…静葉は穣子の性格が変わったことを知らないんでしょ?そしたら上手くいくものもいかないんじゃないかしらって。…それに…」

「…大丈夫。静葉は…穣子が性格が変わっていることは知っているわ。」

なぜ、と尋ねる。その答えは意外なところにあった。

「…かなり推測だけれど。静葉は多分…あたしが神として復活する、そのときの穣子を見たのだと思うわ。」

誰も知らない神が、人目に触れた瞬間があった。それは、早苗が一度死んだそのとき。

元々現代神(あらびとがみ)だった早苗は、神として復活するのに、信仰を集めるだけでよかった。

信仰され、神と崇められる…神は、そこから生まれてくるもの。

そのときに巫女のような役割を担ったのが穣子だった。守矢神社の二人の神も手伝いもあったのだが。

「…藍は言っていたわ。姉は妹のことを、現在形で優しいって言っていたって。それは今の穣子の性格を知らないからだって言っていたけれど…あたしは、そうじゃないと思うの。」

根拠は二つ。一つは帽子を被っていたと知っていること。これは、少なくとも今の穣子を知っているということ。誰にも覚えてもらえない神の特徴を知っている。それは実際、見たからではないだろうか。

もう一つは、信仰を集めていた場所が、守矢神社だったこと。守矢神社は妖怪の山の頂上にある。二人はその山で暮らしている、いわば野良神様だった。

神が別の神を信仰させるという、不思議な光景が広げられて、それが近くに住んでいるのに届かないということはまずありえないだろう。

それで、早苗はそう結論を出していた。

「…でも。あたしは難しいこと考えなくても、あの二人は仲直りする、そう確信してるわ。」

「…へぇ、またどうして。」

腕を組み、自身たっぷりに。

「…カン、よ。」

「…成る程ね。」

思わず苦笑するも、あなたが言うのだったら間違いないのでしょうね。それからは、あまり会話をすることなく、静かに陰から二人を見守った。



「…お姉ちゃん、…今更、何のつもり?」

突き放すような冷たい口調。それでも、姉は一切動じなかった。

気弱で、すぐ泣き出す彼女は、今はとても、優しい表情をしている。

「…よかったわ、あなたの顔が見れて…ずっと、探したのよ。」

その言葉を聞いた瞬間、穣子は静葉を強く睨みつけた。

感情をむき出しにする彼女など、今までにあっただろうか。どんなときでも笑って、辛いことがあってもそれを悟られないよう、表情を隠す。

衣玖が言っていた、心を開いていないような気がするというのは間違いではなかった。彼女は、本音というものを今まで滅多に漏らさなかった。

それが、だ。

「…探した?今更探したって…ようやく妹の存在を思い出したから?それで、今になってようやく見つけて?…満足した、これで?」

「違うわっ…その…ずっと見つけあげられなかったことは謝るわ…けれどっ…」

「…今更なんだってば!」

強く怒鳴りつける。それを陰でしか見つめることができないのは何とも歯がゆいことだ。

けれど、早苗の表情は決して変わらない。…根拠は無いが、必ず仲直りする。そんな確信があった。

「…もう…忘れちゃったんでしょ…どうせ…あのときの約束だって…」

「…忘れるわけないじゃない。毎年、秋は一緒に紅葉を見て、実りを味わう。…それで、毎年同じものじゃ飽きちゃうから、私が、今までで一番綺麗な紅葉を見せてあげるって。…綺麗だったでしょ?」

「でもっ…一緒じゃなきゃ…意味ないもん…」

手を強く握りしめる。うつむせになったその顔からは、どんな表情をしているかは読みとれない。

しかし、きっとこんな顔をしているんだろうな。そんな推測はとても容易だった。

「…ごめんなさい。まさかあそこまで人々に人気が出るなんて思っていなかったの。…だから、傲慢だと思うけれど、お願い…もう一度、やり直させてくれないかしら…今度こそ、一緒に…一緒に一番の紅葉を見ましょ?」

必死に笑顔を作る。断られることを恐怖に思っていることは誰もが分かった。

怖くても、それが一番の願いだから。もう一度、その関係を取り戻したかったから。

…だから、それが届けられないのが…一番、悲しい。

「…強いわね、静葉って…」

「…えぇ。あたしも、そう思う。」

神様としての威厳など無くて。

神社も建てず、巫女も居ない。

少し強く言われただけで、すぐに泣き出しそうになる紅葉の神は。

誰よりも妹想いで、誰よりもしっかりとした意志を持っていた。

「…でも…無理、だよ。」

時間のかかった返答は、否定の意味を示していた。

けれど、それは。

「…あたし…変わっちゃった、から…もう…お姉ちゃんの知ってるあたしじゃないから…」

人に優しい、他人想い、そんな言葉が似合うのは昔の自分だけ。

変わろうとして、ひねくれて…そして、愛されなくなった。

こんな自分、誰も好きになってくれない。

…捨てたはずの想いがこみ上げてくる。

今は仲間が居る。今はもう、独りじゃない。

そう思っているのに、何故か完全に打ち解けられなくて。

親友が居るといいながら、その親友にすら心を開いていない。

…そんな自分に、すでに気が付いていた。

気が付いていたから、怖かった。

また、誰かが離れていくことに。

「…いいえ、あなたは変わっていない。」

「…知らないからっ…お姉ちゃんは、あたしのこと、全然っ…」

「それじゃあ、あの巫女の…いいえ、神の信仰を集めていたのは偽善者気取りだっていうの?」

「…ちがっ…」

それ以上、言葉が続かなかった。

可哀想だと思う心なんて、本当に無かった。

ただ、失いたくなかった。

彼女が望むなら、もう少し、ずっと一緒に居てほしかった。

怖かった。親友が居なくなるのが。

色々な想いが混じりあって上手く言葉にならない。

「…変わってないわ。ひねくれ者で、他人をからかうのが好き…それでも、中の、奥底までは変わっていない。…ちゃんと、私の知っている…ただ一人の、秋穣子よ。」

顔を見上げる。嘘などではない、上べっつらだけの言葉ではない、心からの言葉。

「…私も、怖かった。あなたが居なくなって、探していたら…別のお友達のことに、あんなに全力になっていたから。…あなたの居場所、変わっちゃったかなって。」

「…うん。みんな、優しいよ…あたしに、居る場所が無くなったあたしに、居場所をくれて…」

でも。涙をこぼし、必死に伝える。

「…あたし…お姉ちゃんとの居場所は…どんなに他の居場所が出来ても…消えてほしくなかった…ずっと…そこはそこだけの、特別な場所で…さ…」

「…穣子…」

幼い神様を抱きしめる。嗚咽がしっかり耳に届く。言いたいことも、どんなことを思っていたかも、全部分かる。

「…来年は…来年こそは…一緒に…いいかしら…?」

気が付けば、自分も何かが頬を伝ったことに気が付いた。

必死に我慢してきたけれど、最後には押さえられなくなってしまった。

「…うんっ…来年は…絶対…一緒、だよ…?」

二人の神様はそのまま互いのぬくもりを感じ合った。

誰にも邪魔されない、奇跡の紅葉の下で。

二つの想いは、確かに重なった。


  ・
  ・
冬の空には似合わない、何羽もの鴉がそれぞれの場所を目指して飛んでいく。

群をなすこともなく、たった一匹で何かの目的を果たすために舞い降りる。

それは、小さな、けれどとても大きな異変の終わりを知らせる合図。

それを知るものは幻想郷でも数少なかった。



「…あの。」

「ん、どうしたの衣玖さん。」

魔法の森で、早苗は偶然帰りに出会った衣玖と話をしていた。

というのも、衣玖は人間に伝えた後、こっそり二人の様子を見に行ったのだ。

ルナサはすでに自分の家の方に帰っている。特に暴動も起きることなく、静かに受け入れられたので彼女の力を借りることは無かった。

それでも、彼女は満足そうに帰路についていった。

対して、衣玖はどうしても一つ、気になったことがあって早苗に尋ねに来た。

「…穣子は、お姉さんがどうして自分の性格を優しいと思ったままだと思ったのでしょうか。」

もしかして、私たちの会話が聞かれていたのか。そんな心配からの疑問だった。

確かにあの場に穣子は居なかった。しかし、どうしても不安で誰かに尋ねたかった。

「…長年合っていなかったし、思ったっていうより、みのりんがずっと気にしてたからだと思うわよ?大丈夫、あんたの失態じゃあ無いわ。」

「…そうですか。」

それ以上は何も追求してこなかった。安心したように胸を撫で下ろすと、再び二人は歩き始めた。

かと思えば。急に早苗が足を止める。

「…あたし、お姉さんに…静葉に嫉妬しちゃったわ。」

乾いた笑みを浮かべ、空を見上げる。ひらひらと小さな白い雪が舞い始めてきた。

これからもう少し降るだろうな、早く帰らないと、そう思っても、足は動くことを拒否する。

「…あんなに、簡単にひねくれ者の心を開いちゃうんだもの。あたしが何年もかけて、やっとちょっと、本音を見せてくれたかと思ったら…」

ちょっと会っただけで、すぐに誰にも見せなかった本音をさらけ出させた。

姉妹という特別な関係から見れば、自分との関係など、浅はかなものだったのか。

そんなことない、そう言い聞かせてもやはり一度思ってしまえば、それは自分の心にねっとりとまとわりつく。

「…それは少し違いますよ。」

数歩先に進んで、同じように空を仰ぐ。

一つの冷たい雪が頬に舞い落ちた。それを払うことなく、じっと空を見つめる。

「貴方が居てくれたから、ではないでしょうか。貴方が穣子の、奥底の本音をずっと守ってきたのだと思いますよ。…彼女の本音は、貴方と出会ったときに、すでに聞いているでしょう?」

あたしは、ここに居てもいいの?と。

「私は、この言葉に色々込められていたと思いますよ。それに、あなたの為にとおっしゃっていたあの行動…あれにも、様々な本音があったと思いますよ。」

…と言っても、すべて私は実際には見ていませんが。そう言葉を補足する。

早苗はじっと、考え、肩に積もった雪を払う。寒さに身を震わせ、やがて言葉をゆっくり紡いだ。

「…ねぇ。」

今度は衣玖の方をまっすぐ見つめる。真剣な瞳の中に彼女の姿を映して。

「…もしも、二人掛けの椅子があったとして…あたしと静葉、どっちの方が…穣子の隣にふさわしいと思う?」

しばらく考え、振り返って早苗と向き合う。いたずらに笑いながら、彼女は言った。

「…居るべき場所が違うと思いますよ。早苗は穣子の隣に。静葉さんは…さしずめ、穣子を膝の上に乗せて座るといったところでしょうか。」

「…そっ、か。」

軽く笑ってみせる。その質問で、かなり心が晴れたらしく、再び足を運び始めた。

「…自分の居場所、それはきっと、一つだけでは無く、様々な形としてあるのだと思います。…何処が一番かなど決める必要はありません。貴方の特別な場所、それが何処であっても、貴方はそこで必要とされ、同時に貴方も必要とするのです。」

衣玖は少しの間だけ、早苗の後ろ姿を見つめてから再びその後を歩き始める。

譫言のように呟いた言葉は、早苗の耳にも届いていた。


「…そうだ、いいこと思いついたわ。あのね…」


  ・
  ・

毎年、秋の決まった日に、決まって行われる行事がある。

収穫祭、そう呼ばれているが、もう一つ大きな意味を持つお祭りに変わった。

必ず、自分の始まりの場所に帰ること。

いつの間にか、そんなルールができていた。


「…あら、今日は皆居ないと思ったら…そっか、収穫祭の日だったわね。」

やけに家の中が静かだと思ったら…アリスはカレンダーを見て、今日がその日だということをちゃんと確認する。

「…そうね、私も…久しぶりに、お母さんのところに帰りましょ。魔界のみんな、元気にしてるかしら…」

しばらく会っていなかった『家族』の元に帰る準備をする。身支度を終えると、アリスもまた、自分の居場所に向かって出発した。



さぁ、帰ってきておいで。

あなたの居場所に。

ずっと開けてあるよ。


たった一つしか無い、特別な場所に――







長かった話もようやく完結です。お疲れ様でした!
因みに、全部まとめると58KBとかありますw
あれです、小話30記念ということで長編を…長すぎましたね、はい。
1〜7で最長はここになりました。なんと6700文字w

それと。良かったら感想下さい。切実にこの話の感想を下さい…!!